旅とは
「旅」=高揚
旅は、出発してからではなく、行こうと思ったときから、どんな旅にしようかと考えたときから始まります。
旅行会社のプランを利用するのではなく、自分たちで行く先の歴史や行きたいポイントを調べて、行程を決めて行きます。
行程を決める際にどうしても欠かせないのは「食」です。
この旅でどんなものを食べられるのか、
食べようと思って行くのか。
わたしにとって「食」は至福なのです。
高価なものではなく、でもおいしいもの。
もちろん高価なものでもそれに見合った内容、例えば建物、スタッフのマナー・サービス、カトラリ等、トータル的に上質的なものがとても好きです。
そして旅の行程が決まると、次に決めるのは洋服です。出発の日から戻る日までの全行程の靴から帽子、アクセサリー、時計等も全てを決めてイラストを描きます。これがとても楽しいのです。行く前から旅を楽しめるのですから、楽しみが倍になりすごく得した気分になります。
その間に必要なものを一つずつ準備し、行き先によって旅行カバンを考え、もちろん季節も考慮して選ぶ。そして一度イラストに描いたものを全部入れてみる。こうして出発の日まで楽しみます。行き先が海外である場合、6ヶ月以上前から楽しんでいることになります。(国内であればもっと短くなりますね)
そして飛行機もものすごく大切な旅のアイテムです。
若い時にはわたしもエコノミー対策でいろいろ工夫しました。シートと同じ高さになるように、足元のスペースに四角形の空気を入れて膨らませるクッションを置いたりしました。これが一番楽でした。
予算的に許されることなら、海外旅行はビジネスクラスで行かないと、楽しみは半減してしまいます。機内での時間がかなり長いのでとても大切なことです。
「数より質」ですが、年齢にもよります。20代・30代・40代・50代、それぞれの年齢に合わせて旅を計画することも重要です。20代でファーストクラスはダメ。乗れても乗らないという、人としての質も考えて旅をしないといけないと思います。
こんな「旅」が私流です。
そしてわたしはこの先10年間で行ける「旅」を計画中です。日程を決め、その日を楽しみに、その日が来るまで一生懸命働くのです。働かざるもの「旅」行くべからず。
家とは
「家」=自分の顔
家は外観を見ていろいろな人がいろいろな想像をするものです。
素敵だとか高そうだなとか、古いなとか少し汚れているなとか、センス悪いな~とかいろいろな感想を持ち、そしてどんな人が住んでいるんだろうと考えるものです。
例えばマンション、建売住宅、注文住宅とさまざまですが、それが自分の家であり、顔なのです。
建物は高いからいいとか、安いからどうこうではなく、その人が持っている表情です。家守りを大切に、長く住めるためのアフターケアをしっかりすることが大切なことだと思います。
まず始めにどんな家に住むかより、どんな所、どんな環境で住みたいのかを考えます。そしてそこにどんな家を造り、どんな生活を送るかを考えて家を造ります。その場所が利便性の低いところでもいいのです。自分が少し早く起き、行動すれば解決することがたくさんあります。
わたしも7年前に朽ち果てそうな家と土地を探し、2人の地主さんを3年かけてやっとの思いで説得し、購入させていただきました。
そこがわたしの終焉の地として楽しみたいと思います。
ご縁を大切にしたいと思います。
家具とは
「家具」=いやし・愉
どこの国の家具でもわたしはいいのです。
いろいろな国の家具(もちろんスタンドからライト、置物も含めて)を一部屋一部屋コーディネイトし、絵、置物、スタンド、家具、グリーン(植物)を配置し、その部屋の空間を楽しみながらおいしいお茶を飲む。そして季節的に家具を入替えたりする。
時代の変化を見ながら変えていく。これが私流の家具との付き合い方です。
もちろん壊れたら修理して使う。新しいとか古いとか高いということより、家具との「出会い」を大切にしています。
時には飴より笹の方が高くなる時もあるでしょう。でもそんなことは考えない。出合ったことを大切に思うことなのです。
18歳で大学に行った時、飛騨の家具を買いました。その家具を今も使っています。
40年くらいずっと使っているのです。
長く使える物を選んで買い、大切に使い続けることが物に対する愛情なのです。
家具の中にはとてもデリケートな家具もたくさんあります。あまり力をかけられないもの、水などに弱いものなど。それらを理解し、わたしたちが家具に合わせて使えばいいことなのです。
それが物を大切に使い、いい物を残すということなのです。物を大切に使いましょう。
食とは
「食」=至福
一日の始まりと終わりに食を迎えた時、見た目より「おいしい」ことが絶対条件です。
世界中には珍しいお料理がたくさんありますが、一番大切なことは「おいしい」ことです。
食べたときに「これはうまい」と思った瞬間、すごーく嬉しくなります。食の喜びを感じます。
そしてどんな環境でどのような空間で食べるのかトータル的に完成した時、わたしは至福をとても実感します。
だから「おいしい」だけでは至福にはならないのです。